#01 セクマイで乳がん、ということ

 結論から言うと、性自認がどうとだか性指向がどうだとか、心の性別がどうとか、生まれ持った身体が男女のどっちだとか、ジェンダーがどうだとか、色々言っても「乳がん」に罹る時は罹るものだ。

乳腺という組織は男女問わず体内にあるし、そこが何かしらの要因で病気になってしまうというのはリスクや程度の差はあれど、可能性として充分あり得る話なのである。
そして、意外と(?)セクマイかつ乳がん当事者というのも世の中には居るものなのだ。
多分ね、みんな言わないだけなんだと思う。

「がん」っていうちょっと怖い病気(ひと昔前まではがん=死に直結するようなイメージがあった)の前では、良くも悪くもそうしたセクマイだとかLGBT+的な思考が追い出されてしまうと言うか。
どうしても「シスジェンダーかつ異性愛者」である「普通の」女性をメインに、乳がんの知見やコミュニティというものは民官問わず広がっているように思う。

そんな中、性別違和感があり性自認が女性では無い私が「女性特有の」と言われるがんに罹ったからさあ大変、という訳だ。しかし私は実生活で特に外界に対して積極的にカミングアウトしている訳ではなかったり、ジェンダークリニックに行ったりしている訳ではない。

もちろん、医師による「性同一性障害」の診断が下りている訳でもなければ胸のオペもしていない。在野のトランスジェンダー、クローゼットとでも言うべきか。

それで、だ。
私は先日「乳がん」の告知を受け、針生検を行いその結果をもって「乳がんである」との確定診断が下りた。

その昔、20代の頃だったと思う。職場の健康診断で胸に嚢胞が多数あるということで再検査のためにしぶしぶ婦人科へ行った時。ちょうど診察室で乳がんを告知されて、出てくるなり泣き崩れる女性に出くわしたことがある。

あの時は「シスの女性は大変だな。あんなにショックを受けるんだから」「自分は『女性じゃないから』、多分ゆくゆく乳がんだって言われても、胸を手術すると言われても、それほどショックは受けないだろうな」などと若造である当時は思っていた。

ところがどっこいである。言われたら言われたで、それはそれは結構ショックなものである。ショックの引き金は性自認や女性への帰属意識に非ず。
ぶっちゃけ、告知を受けてショック過ぎて私はボロ泣きした。

でもまあ多分それは、どちらかと言うと胸を切るだとか抗がん剤で髪が抜けるとか、女性性の喪失とかそういうことよりも「これまでの人生、一度も入院・点滴・手術をしたことがない」という状況から来る純粋な「新奇性への恐怖」からだった。青天の霹靂というやつである。

まず、そもそも乳がんが何なのかわかってない。乳がんになって、どのような治療をするのかわかってない。その後の人生、早い話がこの先生きるのか死ぬのか、それとも死んだように生きるのか、それすらわからない。

「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と故事は言う。
孫子の兵法ってやつ。まずは情報収集が不可欠だ。

しかし、ググってみるもトランスジェンダーやセクマイ当事者の乳がんの症例や体験談はほぼ出てこなかった。細かく探せばある所にはあるのかもしれないが、早い話がたとえ微かでも希望につながるロールモデルが存在しないのである。

これは私の精神的に、そしてQOLの観点からするとマズイ状況だなと感じた。悲しいかな、人間というものはどうしても不安な時は群れたい生き物である。「仲間が欲しい」と思ってしまう。

何かを啓発しようだとか、そういう高尚な趣味は持ち合わせていない。が、もし私の体験がデータ・記録として一般人の目の届くところに多少なりとも残れば、私と同じように「女性としての肉体」に性別違和感を抱えながら「女性特有の」病気をしてしまった当事者に「あなただけではないんだよ」と示すことができると思った。

でもまあ、言えることはひとつだ。性自認がどうであれ、心配なら検診・検査は若い頃からきちんと受けなさいよ、と。「レディースクリニック」だの「婦人科」だの「ウィメンズクリニック」だの、気持ち的に拒否感があったり手間かとは思うけども、そこを何とか! ……と、私は思うのであった。

ちなみに乳房の気になるしこりを診る診察科は「乳腺外科」である。これは今回初めて知った。婦人科とかではないんだね、というのが今回の学びだった。

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