#09 治療方針とメンタルあれこれ
とりあえず様々な検査を経て、自分の乳がんがどのような状況なのかが見えて来た。自分の腫瘍がどのくらいの大きさでどこにあって、腋窩リンパへの転移はこの位で……みたいな。
私の場合は腫瘍のサイズが3cmほど……割と大きめだったため、本格的な手術をする前にまずは半年、化学療法(抗がん剤治療)でがん細胞を叩いて小さくするということになった。
そしてそれと同時に、点滴のための「CVポート」を体内に埋め込むことも決定した。元より採血等でもまるで腕の血管が見えない奴なのである。致し方なし。
そしてそれと同時に、点滴のための「CVポート」を体内に埋め込むことも決定した。元より採血等でもまるで腕の血管が見えない奴なのである。致し方なし。
抗がん剤は最初の一回だけは腕から、その1週間後にCVポート埋め込みの手術、そしてその後はポートから点滴となる。
そして治療方針が固まったものの、相変わらず私の気分はどんよりしていた。元より何年も「うつ病」で治療を受けていた身なのだ。がんであることが判明した、じゃあ前向きに治療してくぞ! ……という意識など芽生えるはずもない。
がん患者はがんと診断されてから適応障害やうつ病などを発症する人が一定数いるそうなのだが、逆に元からうつ病の人間ががんになった場合どうするのか、という点については情報が少ない気もした。
「そんなん知りませんがな」「自力で何とかしろ」と言われているようで、それはそれでまた悲しかった。まあ、その感じ取り方は今思うと多少誤っているし、ある程度はやはり自分の身で何とかするしかないのだが。
がんの告知を受けてから、ひと月半くらいになる。その間、ずっと思っていたことがある。
それは「こんな高い金払って治療を受けてまで、生きる意味や価値があるのか?」「治療を拒んでこのまま死ぬのと、治療をしていつか死ぬのと、どっちがより『経済的』なのか?」ということ。
こんなことを、私は大真面目に考えている(いた)のである。
乳がんの闘病記を見たりすると、多くの人が「家族のため」とか「配偶者と子供のため」とか、「女性としてもっと輝きたい」とか、書ききれないほど色んな理由で治療や生活を頑張ってる人たちがいる。
しかし私にはそれがない、と感じられた。
この状態で治療のモチベーションを構築するのはとても難しいと思う。元からうつ病でへばっている所にがんのダメ押しが来たような感じだ。実際、がんの告知を受けてからメンタルは壊滅的である。
元々「生きることは素晴らしい」などという言葉には猜疑心を抱くような性格の持ち主である。無条件で何かを素晴らしいと礼賛するのは、正直見ていて気持ちが悪いというか。
しかし、がんと診断されてからの不安や恐怖というのは、いわゆる今までのうつ病における希死念慮とはまたベクトルの違う、異質なものに思えた。
死ぬことそれ自体はまだいい。人間いつかは死ぬものだし、それを今までは間近に意識していなかっただけの話だ。「メメント・モリ(死を忘ることなかれ)」である。
そうして悶々と考え続ける中で恐らく私は、その死にまつわる「生きている内に受けるであろう、あらゆる損や苦痛が嫌」なのだと気付いた。気付いただけで特に劇的に状況が変わる訳でもないのだが、とりあえずこの気付きは大事にしたいと思った。
生きること自体は別に素晴らしくも何ともない。私にとって、世界は常にクソだ。
でも、「それでも生きていく」意味ってなんだろうな? ということを私はずっと、考えているのであった。
【今回なんとなく調べて眺めた資料】
国立がん研究センター「がん情報サービス」より国立がん研究センターがん対策情報センター作成の冊子「がんと心 がんと向き合う“こころのケア”」
※PDFファイルです
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