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#44 誕生日×ブッダ×ボブ・ディラン

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誕生日でした。私は自分の乳がんを誕生日の夜に自分で触って見つけてすごく嫌な予感がして、で、その日の内に必死になって診てくれる病院をスマホで探したという経緯があるのですが……そんなドタバタから2年が経過しました。2年生き延びたなあ、という感じです。 ちなみに私の誕生日は大体カレンダー上では入梅とされる日で、さらに近年はAppleの年一回だったかのカンファレンスも行われる日になっているので誕生日自体は嫌いではないです。自分の誕生日に好きな&お世話になっているメーカーの新製品発表があるとか最高じゃないですか。 逆に日本のカレンダーで唯一祝日のない月、などと揶揄される6月ですが6月は私(と私の母)の誕生日があるのでそれを国民の祝日にしていただきたい位です。 で、そんな誕生日の朝にコーヒーを飲みながらこれを書いている訳ですが向こう一年のスローガンとしてふと 「愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中にいる象のように。」 という言葉が浮かびました。 アニメ映画「イノセンス」でも出て来た印象的なセリフ・引用で、出典はブッダです。 日本では岩波文庫の「ブッダの真理のことば 感興のことば」という本に載っています。 「イノセンス」では後半部分を少し変えて「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。」とセリフとして言い易く(また翻訳者の著作権に抵触しない形で)引用されていましたが、大事なのはむしろ前半部分だと感じました。 「愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。」 これです。 私は乳がんに罹患してまだ2年ということもあり「キャンサーギフト」なる言葉に実感が持てず、また好きでもありません。むしろ今はまだ「キャンサーロスト( 一般社団法人がんチャレンジャーによるキャンサーギフトの対義語として生まれた造語 らしい)」の方に目が入っていて、自分が失ったもの、失ったことへ対する執着が強いと思うんですね。 乳がんになってほぼほぼ自発的にコンタクトを取るような行為を止め治療に専念し人間関係を断ったり、それでも必要な時は大人な対応で声を掛けて来てくれたフリーランス時代の仕事関係の人とか、ぶっちゃけ人(それも二人も)から勝手にかつ一方的に自宅へ送り付けられて来た「病気平癒」の御守りよりも自分で買った「厄除け」...

#43 初期の検査結果にゾッとしたり健康診断で詰んだりした話

先日、ふと自分の乳がんの初期の検査報告書(2022年6月末時点)を久し振りに見る機会がありました。確かエコーとマンモと針生検で乳がんの診断が確定して、そんで治療方針を探る&全身に転移がないか調べるためという名目で全身のPET-CT検査を受けたんですよね。 当時はそれこそがんに罹患したこともショックだったし、これから先の生活はどうなってしまうんだろうとか、色々心理的に物事をしっかり考えたり判断を下したりということが難しい精神状態でもあったのでその検査報告書を当時見てもあまりピンと来てなかったんですね。乳がんの知識もほぼほぼゼロですし。 で、それをまあ今更(手術前の半年間の抗がん剤治療、手術が終わって補助的な放射線治療を25回、その後再び化学療法を1年以上やって、ようやくタモキシフェン10年のターンに入った2024年)見た訳ですね。するとある程度病気に対する知識も付いて来てますから結果を見て「うわー……」とゾッとしてしまった、という話です。 検査報告書には「左乳癌:左腋窩・左内胸リンパ節転移、r/o 左鎖骨上リンパ節転移」の文字がありました。「r/o」というのはRule outの略らしく、「可能性は低いが危険は危険だし要注意」みたいな意味らしいです。 当時検査を担当してくれた医師も現在の主治医も私の乳がんに関しては基本的にステージの話をしないタイプの人で(腫瘍マーカーの話すらほぼしない)、まあ自分で勝手に検査結果から当てはめて推測するしかないんですけどこの状態だとどう見積もってもステージ3のB〜Cをうろつく形、つまりは「局所進行乳がん」になるんですよね。 参考資料|患者さんのための乳がん診療ガイドライン2023年版 Q15   乳がんのステージとステージごとの治療の流れについて教えてください https://jbcs.xsrv.jp/guideline/p2023/gindex/30-2/q15/ あーあ、という気持ちです。個人的には。当時検査を担当してくれていた専門医の先生が「今すぐ命がどうこうという話ではないが治療自体は今すぐ始めないと命に関わる」みたいな何か矛盾したことを言っていたような記憶もあるので「あーそういうことだったのかー」と今更感じた次第です。 で、それが手術直前に術前化学療法を半年やった上で主治医に「結局私のステージ今どの程度なんです...

#42 グンゼの前開きブラを試す+α

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 2022年に乳がんが発覚し術前化学療法=点滴の安全性と確実性のためすぐにCVポートの挿入手術をしたというのもありますが、割と早い段階から私は「前開きブラ」を活用していました。 最初に買ったのはユニクロの「コットン前あきブラ」でした。 ユニクロ公式 | コットン前あきブラ https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E431561-000/00?colorDisplayCode=69&sizeDisplayCode=004 スナップボタンが下の端っこに1個だけ付いていて、あとはマジックテープ式。ゆるめのシルエットで着心地は良く、乳がんの手術後もそれは同様で、内面にパッドを入れるのもとても楽な構造でした。 しかしずっと使っているとやはりモノは徐々に洗濯等でヘタッて来る訳で。同様にパッドを入れられるニッセンの薄手の前開きインナーと代わる代わるで併用して来ましたが、最近は(乳がん患者であることを隠して)パートで働き始めたのもあり、人目を気にして胸を偽装しないといけないシーンが増えたために「もう少し前開きブラ要るな」と思ったのでした。 乳がんが発覚するまでは、性別違和感を解消するため必死に胸をナベシャツで平らに平らにと潰していた私が、今では必要に迫られて「何の問題もない女性を演じる・演出するため」に全摘した左胸を盛らねばならぬ……という事態はだいぶ滑稽です。「ギャグか?」ってなりますね。 なので割と本気で執刀医(≠主治医)には「ついでに右胸も綺麗に切っておいてくれ」と事前に言っておきたかったくらいです。棚ぼたラッキー的に、この不要な胸とはおさらばしたかった。 しかし物事というのもはそう簡単に、楽「だけ」をして望み通りの結果が得られる訳ではないというのも重々承知している訳でして。 まあ逆に言えばそんなに胸を切り捨てたかったらまずお前が行くべきなのは乳腺外科じゃなくてジェンダークリニックやろ、 ということです。桶屋は桶屋。 前置きが大変長くなってしまいました。で、前開きブラのストックを増やそうと思ってまたユニクロのオンラインストアを見てみたんですね。したらば、在庫が無いと来た。 出来れば同じのを揃えたかったな〜などと思いつつ、今度はAmazonを見てみる。すると、グンゼの前開きブラが割と安いなということに気づいた。しかも2着同時に...

#41 カドサイラ完走、そしてCVポートの行方

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 先日、3週に一度のスパンで14回続けることになっていた「カドサイラ療法」を無事に完走しました。単純計算で294日なのでほぼほぼ10ヶ月ですね。 手作りの「ケモケモスタンプカード」をフルコンプした。おめでとう自分。 2023年1月末に左胸全摘+リンパ節郭清→病理検査結果と遺伝子パネル検査の結果が出る→放射線治療のゴーサインが出たので開始(毎日・全25回照射)→カドサイラだったのでこれで丸一年潰れたような感じです。 カドサイラ療法中の困った副作用はそれなりにありました。 吐き気やだるさ、関節の痛みなどは手術前にやっていたドセタキセルより随分と弱く楽な方でしたがそれでも点滴後2、3日は吐き気があったりしたので吐き気止めは飲んでましたし、皮膚の乾燥がやべぇとか足のすねに出て来た「紫斑」にびっくりしたりと。 中でも一番困ったのは、目の不調でした。 これがカドサイラの直接的な副作用なのか、加齢や疲労など諸々の要因が複合的に重なって最終的な出口として視力に影響したのか分かりませんが、ある日ふと急激な勢いで視力が低下し乱視が悪化しました。 どれくらい悪化したのかと言うと、私は普段何もなければ視力が1.5以上はある(子供時代は2.0以上)典型的な遠視の人間でした。しかし目の不調がさすがにヤバいぞと感じたのは、それこそカドサイラ療法の副作用メモを取ろうとしたりして机に座り、普通にノートをまとめようとしたところ、字が書けなくなった瞬間でした。 手元のノートに字が書けないくらい、視力がおかしくなって良く見えなくなっていた んです。あまりに見えないので急いで眼科へ駆け込んだのですが、その時の視力検査では左が0.4で右が0.6でした。個人的には「有り得ない」数字でした。 そりゃ普段の視力から一気に1.0も下がったら見えなくもなるわ、という訳です。普通に歩くのも危ないレベル。特に夜道は未だに危険なので、防犯や防災の意味も込めて足元を小型の懐中電灯で照らして歩いています。 眼科へ行っても直接的な原因は分からず、でも視力低下と乱視の悪化は何とかしたいしとメガネ屋へ行くもレンズ合わせのために視力検査してくれた店員に「ただの疲れ目じゃないっすかね? メガネ作るよりも目薬した方がいいっすよ」などとメガネを作ること自体を断られたりとマジで訳が分からん状態だったので、とりあえず今は「ピント調整を改善...

#40 乳房全摘手術から一年が経っていた

なんとまあ早いもので。いつの間にかというかあっという間にと言うべきか。左胸の乳房全摘+リンパ節郭清手術から一年の月日が経っていました。なので、一年経ってみて感じていることなどを記録に残しておこうと思います。 左腕の不自由と違和感は未だ消えず 「リンパ節郭清のためにその周辺にある神経も傷つける可能性があるので、術側の腕の違和感は数ヶ月くらいは残るかもしんないよ」みたいな説明を手術当時、病院側から受けたような記憶があるんですけども。手術から一年経ってもその辺は全然良くなってないです。 元々、雨が降ったり低気圧が近付いて来ただけで頭痛がし始めたり全身どこかしらの関節が痛んだりというのが子供の頃からあるような奴なので、よほど神経が過敏なのだと思います。リハビリで腕自体はちゃんと上がるようになったけれど、皮膚感覚の異常とか、未だにたまに脇の下がピリッと痛いわとか、術側の腕が重だるいなあとか、あります。 リハビリ自体は「1日3回朝昼晩でやってね」と理学療法士さんに渡されたプリントを自室の壁に貼って、それを見ながら無理をせず(言い方を変えれば、めんどくさくてサボりつつ)1日1回、多くても2回、風呂上がりとかにやっていました。 それでもまあ、かなり腕・肩の上がり具合は元に戻ったと思います。手術直後はしばらく通所リハビリ(自分ではどうにも出来ないくらい手術した所が痛かったり動かせなかったりしたので、理学療法士さんに筋肉をほぐしてもらったり、肩を上げるためのリハビリをしてもらうやつ)のお世話になっていたような私でも、何とかなるもんなんだなぁと思いました。 徐々に「自分らしい生活」を取り戻す これはあまり病気とは関係ないかもしれませんが、少しずつ自分の望むような生活が戻って来た、もしくはそんな生活を新たに手に入れることが出来始めている、といった感覚が芽生えて来ています。 乳がんが発覚した後、割と早い段階で私は失意の中「バケットリスト」を書き始めたんですがその最初の一つ目が「死ぬその時に後悔しない生を送る」、二つ目が「それなりに自分の社会的責任を果たす」だったんですね。 きっとバケットリストに最初に書いた目標を達成した暁には、私の人生にあの「ゲームをしていると地味に嬉しい実績解除の音」がピコン♪と鳴ることでしょう。 バケットリスト自体は、実はまだ25ほども書けていません。自分がしたいことを...

#39 年末年始の動き

しばらく乳がんの治療やそれに関わる生活のことなどをブログに書くのをサボっていたと言うか、控えていました。とりあえずカドサイラ療法は変わらず続いているし、それ自体は粛々と回数を重ねるだけで完走へ向けて進んでいるというだけです。 この記事を書いている2024年1月中旬時点ではカドサイラも12回の投与が終わり、あと2回で予定していた全14回を完了します。なので今回はその前後にあったことなどを記録としてまとめておこうと思います。 手術の傷口がようやく綺麗になった いやあ、長かったです。2023年の1月末に左胸全摘+腋窩リンパ節郭清の手術を行なった訳ですが、この傷口の経過と言いますか。その直後から始まった放射線治療のせいでどうにも審美的な意味で納得のいかない期間が続いておりまして。 結果として、放射線治療が完了した後、半年後くらいのタイミングでようやく放射線に焼けて黒ずんでいた皮膚が綺麗になりました。やっと、何となく風呂上がりに自分の体を鏡で見てみて「まさに傷は漢の勲章だよなあ」などと思えるようになって来ました。 クローゼットで働き始めた 去年の暮れ頃から、短時間のパートでの仕事を開始しました。ええ、前回あれほどハロワと長期療養者就職支援事業について文句や恨みつらみを吐いていた私でしたが……まあ、受かったんです。運が良かったとしか言いようがありません。 がん患者専門の支援員さん(この方自身もがんを経験されているのだそう)の指導の下、二人で「これなら今の体力的・能力的に仕事をこなせる種類の求人なのではないか」と相談したり、出来そうな求人を紹介してもらったり。確か夏頃から求職活動を本格的に再開したので、こうした手探りの期間は2〜3ヶ月は続きました。 支援員さんのアドバイス通り、求人へ応募する際は自分が乳がん患者であることは一切伏せました。ぶっちゃけ、そうしないと書類選考すらまず通過出来ないからです。残酷なようですが、それが現実です。私個人としては、まあ性自認や性指向に加えて「クローゼットにしておくべきことがもう一個増えた」という訳ですね。2個も3個も大して変わらんか、と言った具合です。 最近は既往歴の情報なんかも個人情報・プライバシーの侵害に相当する場合がありますし、大抵の人は(その当事者でもなければ)病気に対して誤った先入観を持っているというのが常でしょうから、よほど「がん患者...

#38 長期療養者就職支援事業を使う

私は一旦仕事を止めて次の仕事を探している間に乳がんが発覚したので、治療を優先するために求職活動を一時停止していた。本当は在宅だろうが単発の仕事だろうが収入を得るために、治療費を少しでも賄うために、とにかく早く働きたくてしょうがなかったが周囲からはまだその段階ではない、焦るな、今は治療に専念しろと諭され今に至る。 それで一年間治療に専念した訳だが、手術が終わり傷の経過もまあまあ良好、手術後の抗がん剤治療も少しは副作用がマシで動けなくはない。なら動くべきだ、ということで ハローワークの「がん患者の就職支援を行う窓口」こと「専門援助部門」「長期療養者職業相談窓口」 に連絡を入れたのだった。(※部門や窓口の名称は自治体によって違うかもしれない) 実は私、この「専門援助部門」には以前も来たことがある。実際来るまで忘れていたが、長引くうつ病治療を理由に障害者手帳を取得していた時期にもお世話になった窓口なのだ。で、担当の支援員さんは開口一番に言う訳だ。「障害者手帳はまだ持ってる?」と。 早い話が、がん患者として再就職先を探すより障害者として障害者枠に滑り込んだ方が「手っ取り早くて確実である」ということである。(言い方は良くないが。)ちなみに私はとっくの昔に障害者手帳は役所に返納しており、現在は持っていない。 実際、窓口ではがん患者の再就職に関する支援を専門の支援員さんがマンツーマンでアレコレ行ってはくれるが、 ぶっちゃけた話、企業側の求人に「がん患者枠」というものは存在しないしがん患者への配慮があるとか病気を受け入れた上で雇う下地や前提が出来ている企業が専門的に登録されているとか、そういうことはほぼ「無い」。 つまりがん患者の就労に対して何の準備も前提も共有されていない企業にがん患者として、もしくはがん患者であることを言わないで(働けるくらい元気ならそもそも個人情報である病気のことは詳細を言う必要はない、というスタンス)、明らかに不利な状態で就職活動しろということである。これはメンタルヘルス系の疾患や発達障害、さらにその他「微妙なラインの持病」を抱えている人も似たようなものかと思う。 あまりがん患者であること、病人であること自体にアイデンティティを置くなとも取れるし、逆に解釈すれば例えがん患者であったとしても「比較的、心身共に元気な人しか採りませんよ」的な思想が透けて見えたりもす...