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#55 「抗がん剤治療中です」マークを作った話

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実はでもないのだけど、最初に乳がんが発覚して手術前の抗がん剤治療を行う時に「こういうのがあればいいのになあ」と思っていたのがヘルプマークをカスタマイズ出来るチャームでした。 ヘルプマークもまあ関東ではだいぶ普及というか認知度が上がって来たし、私も調べることで 「がん患者もヘルプマークが持てるんだ!」 と知ることが出来たり色々と新しい発見があったりして。 しかし、しかしである。 ヘルプマークを持って電車の優先席に座っている私を見て、他者は最初にどう思うんだろう?  というのがずっと気掛かりでした。 パッと見で身体に障害は無い。じゃあ精神障害の方か? 内部疾患なのか? コイツなんなんだ? ……という、ある意味では自意識過剰的な悩みだった訳ですね。 そうしてモヤモヤしている内に時は流れ、気が付いたら左胸全摘と術後の化学療法も完走してしまい……いつしか「まあいっか」みたいになっていた。 したらば乳がん4年生になるかならないかのタイミングで、再発のお知らせ。 晴れてステージ4のエンドレス抗がん剤となったのでした。 必要は発明の母という。ならば「今こそあのチャームを作る時だ!」と思い立ち、まずは自分用にオリジナルアクリルグッズの印刷所さんに頼んで試しに1個だけ作ってもらいました。 で、それをSNSに投稿したら 「自分も欲しい!」 とリプライを下さったり、ポストを引用して肯定的な感想を述べて下さった方も多く 「あ、コレ一定数生産して頒布した方がいい流れだな」 と思い至り、現在この小さなチャーム(直径3cm)を必要な人のお手元へ届けられるように現在準備を進めているところです。 具体的に何をしているかと言うと、有名どころのハンドメイド品販売サイト「minne」に会員&ショップ登録をして色々準備中です。 ショップの名前は「LUNARIS(ルナリス)」にしました。ラテン語で「月のような、月に関する」と言った意味だそうです。 このブログの名前も「ブルームーンシャイン」なので月つながりですね。 そして何となく、私が好きな某魔法少女アニメの主題歌を歌っているグループや歌のタイトルっぽくてええや〜んとか暢気に思いながらロゴ作ってましたすみません。 そして最初は自分用に1個だけだったのですっかり気を配るのを怠っていた 「赤十字マークのライセンス問題」(リプライで教えて下さりありがとうござい...

#54 がんがリンパ節に再発、再び抗がん剤の日々

副鼻腔炎の手術も終わり、術後の経過も良く手術で出来た傷も綺麗に治って来た頃。いつもの3ヶ月に一度の乳腺外科の検査と診察に行った。 いつものようにポートから採血され、いつものように造影CTを撮り、いつものように主治医の検査結果の見立てや診察を受けて薬をもらって帰る……今回もそんな流れだった。 しかし、事態が急変したのはその一週間後。急に乳腺外科の主治医から直接私へ電話が掛かって来たのだ。 内容は「検査結果について伝え忘れたことがあるから早急に受診の予約を入れて来て欲しい」とのこと。 「電話では伝えられない内容なんですね?」と一応確認すると「はい」と言われる。 ああ、この流れはアレやな……と察しが良くも気付いてしまう。 予約した直近の日に受診すると、どうやら先日撮ったCTを専門の読影医に念のため回してくれていたらしい。したらばちょうど胸の骨の真ん中、その内側にあるリンパ節が腫れていて、どうもそこにがんが再発したようだ、という。 もちろん、そんな場所のリンパ節なんて手術で取れる場所じゃない。一生に一回の放射線治療も手術後にもうやってしまっている。残った治療方法はもう化学療法だけだ。 一応確認した。 「えーと、じゃあステージ的にはもう4扱いで、エンドレス抗がん剤な訳ですね?」もちろん主治医の答えはイエスだ。 そんなこんなでまたケモ室通いの始まりである(3年振り)。 今回の薬は以前も使用したことがある分子標的薬ハーセプチン&パージェタ、そしてそこへ新たに加わるのは抗がん剤のハラヴェンと呼ばれるものだ。「HHP療法」と説明の紙には書いてあったかな。 1クール3週間なのも以前と変わらないのだが、1週目にハーセプチン&パージェタ+ハラヴェン、2週目はハラヴェンのみ、そして3週目はどれもお休み……という若干不規則な流れである。 ほぼほぼ毎週通院やんけ……ほんの数駅とはいえ交通費がかさむ……となったが、私はちょうど別件で去年の10月頃から職場に異動のお願いをしており、先日それが見事叶って通勤用の定期を手に入れていたのだった。しかも経由駅は病院のある駅だ。 何というタイミングの良さだろう。やったぜ。 て言うか今までの職場(のパートのおばちゃん達からのくっっっっっだらないいじめのようなご対応)のストレスでがんが再発してたとしたら一生恨んでやるからな、とは思わないけれど、もう...

#53 慢性副鼻腔炎の手術のまとめ

2025年12月も下旬に差し掛かる頃、私は5日間の手術入院をしていました。 長年の慢性副鼻腔炎をどうにかしたい→既往歴と検査結果的に好酸球性副鼻腔炎じゃね?→からの「これもう組織(ポリープ)採って検査回して確定診断出す前提だわ」みたいな感じで割と大掛かりな鼻の手術になりました(当社比)。 結論から言うと3年前に30分程度で終わったらしい乳がんでの左胸全摘+リンパ節郭清よりキツくて大変な手術と入院生活でした……。 本命のポリープを取る手術の前段階として他の手術も色々とあり、 ①他の手術をやり易くするために曲がっている鼻の骨を除去する手術 ②鼻腔各所の小さな壁を取り除き「単洞化」して鼻の中の換気を良くする手術 ③本命のポリープ(鼻茸)除去手術 の3段構えです。これ全部一気にやるのかよレベルです。 いや一気にやった方が明らかに効率的なのは分かってるんですが、事前に手術説明を受けた際にそこで初めて「ポリープを取るだけじゃない、3種類の手術を行う」という事実を知ったので「ウゲェ」という感じでした。 実際の手術時間は、全身麻酔で大体3時間くらいはやっていたと思います。お昼前くらいに始めて、意識が覚醒し始めたのが夕方前みたいな。 そして乳がん手術の時もそうでしたが、術後は38℃越えの高熱が出ました。38.5℃位までは病院的に許容範囲というか想定の範囲内らしいので、ひたすら処方されたカロナールを飲んでぐったり休んでました。 これも今後のQOL向上のため……とヘロヘロになりながら、忍耐、忍耐の連続でした。今回はそのまとめのようなものです。 【入院1日目】 時間通りにチェックインするも、まだ病室のベッドの準備が終わっていないとかで結構待たされる。色んな患者さんが、入れ替わり立ち替わりで忙しなく4人部屋に入退院しているようだ。 入院病棟のフロア全体が異様に室温が高く暑いな、と感じる。結局この暑さは退院するまでずっと続いた。 昼食・夕食と病院食をいただき、夕方には少しおやつも食べた。次の日はもう手術で1日絶食と決まっているのでこれが最後の晩餐である。この日の内に綿を受け取り、手術後に鼻の穴に詰める綿球をひたすら作る作業を行う。 【入院2日目(手術日)】 特に休薬する薬は無いと事前に言われていたのに、当日の朝になって乳がん治療で飲んでいるタモキシフェンに待ったが掛かる。というか、この日はもう...

#52 鼻炎の手術をしたら指定難病だったでござる

 去る2025年の12月、私は何年もずっとアレルギー系の内服薬だけで治療を誤魔化していた「慢性副鼻腔炎」を改善する+αのための手術を行いました。というのも、いつぞやの引越しを機に通う耳鼻科を変え、その先での検査で 「好酸球性副鼻腔炎」の疑いが濃厚だった からなんですね。 (スクリーニング用のリスクとか重症度を測るスコアというのが点数であるんですが、ブッチギリで満点行ってたらまあそりゃすぐ手術にはなりますよね……という) たまたまその時診てくれた非常勤の先生が難病系も扱える指定専門医?的な人だったのも幸運でした。 実は3年前に乳がんが発覚した時点でも、当時通院していた耳鼻科では「鼻の中にポリープがあるから」と手術を勧められてはいました。しかし「いやいやこれから乳がんの治療あるんで術前抗がん剤とか入れるし流石にそこで鼻の手術は」と、その時からずっと鼻の方は後回しにしていたのです。 そしてようやくその時は来た、みたいな感じでしょうか。 乳がんの時もそうだったんですけど、私の場合、大体こういう時って普通の検査の段階で「ほぼ確定」の出来レース状態で「後は組織採って検査して正式に確定診断出すだけ!!」みたいな状況なんですよね。 おめでとうございます、今回もその通りでした。晴れて国の指定難病患者です。 難病情報センター|好酸球性副鼻腔炎(指定難病306) https://www.nanbyou.or.jp/entry/4537 特殊型乳がん(希少がん)である浸潤性小葉がんに加え、さらには指定難病まで……どうしてこうも症例&治療法の確立されていないモノにばかり当たるのか。その運をもうちょっとこう、宝くじとかに配分して欲しいですね(宝くじ買わないけど)。 とりあえず自治体から助成金や治療費の足しが毎月いくらかは出るらしいので、早めに難病申請をしておこうと思います。ただ好酸球性副鼻腔炎の場合、治療はほぼ外来+内服薬になるのでそんなに毎月治療費が掛かる訳ではありませんが……ポリープは再発しやすいのが前提だし、その時はまた手術で取らないといけない。もらえるモンはもらっておく精神。 一応職場にも指定難病の件は話してあって、逆にこの話をすることで私が面接の時からずっと隠して来てる乳がん既往歴のブラフになるな……とも思いました。まあ、がんが再発なり転移なりしちゃったらその時はその時で全部...

#51 「ほぼ日手帳アプリ」でエンディングノートを作る

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最近、紙の手帳で有名な「ほぼ日」からスマートフォン向けに「ほぼ日手帳アプリ」というものがリリースされた。早速ダウンロードをして各種設定をし、ここ1、2ヶ月ほど使ってみて気付いたことがある。 それは「あ、これエンディングノート作りに使えるじゃん」である。 アプリのUIもまるで一人SNSのようで親しみやすいし、この日はこの場所を動き回ってこんな写真を撮って……というのを(プライバシー設定の可否もあるが)自動で1日分の記録としてまとめてくれるのである。 もちろん、普通に手打ちでその日その日に日記やメモを書いたりも出来る。 エンディングノート。 自分が書く必要に迫られた瞬間には大抵もう遅い、と言われる代物。 私も乳がんに罹患した当初から何度か「もしも」の時に備えて手書きでチャレンジしてみようと思ったのだが、いざペンを持って物理的な「エンディングノート」に向き合うと、毎度の如く動けなくなった。 100均で買える「もしもノート」も良かったが、それでも筆は進まなかった。 毎回何か書く内容を考えて、悲観的な想像ばかりが頭に浮かんで、しまいには涙さえ滲んでしまう。書けない。そう、書けないのだ。 でも「ほぼ日のアプリ」なら、少しは気楽に自分の行動の記録を(半分自動で)残したり、思ったことをこっそりメモしておいたり出来る。そう思ったのである。 そして同時に、「これはもう完全にユーザーインターフェース(UI)とユーザーフレンドリー、そしてUIデザインの勝利だ」とも思った。単純にこのアプリが「使いやすい」のである。 まだまだリリースされたばかりで機能も限定的ではあるが、壁打ち用の一人SNSとして使えるので悪くは無い。今後のアップデートに期待したい。

#50 ヨガとボランティア活動と近況

先日、術後3年も近い頃になってようやく定期的な運動の機会と言いますか、「乳がん術後にいいぞ」とよく言われるヨガを始めてみました。 最初は近所に出来た某カーブスにしようかと考えていたのですが、地味に徒歩10分でも遠いしめんどいとか、仕事帰りに行くとしても時間が合わないとか、1回30分かーとか、コスパ良くないかもとか、色々と自分の中で難癖を付けて踏ん切りが付けられずにいました。 (たまたま私のライフスタイルに上手く合致しなかっただけで、カーブス自体は良い選択肢のひとつには成り得ると感じます。乳がん患者さんの体験談の掲載もカーブスの公式サイトには多いです) そうして悶々と日々を過ごしていたところ、これまた近所でヨガ教室の会員募集の掲示物を発見しました。しかも会場がカーブスに比べてめちゃくちゃ近い。毎週1回、定期的にやるようだけどそれも私の仕事の定休日と合致している。 そしてそれほど人数も多くない、静かで落ち着いたヨガサークル。「あ、これほぼ確定だな」と思って一度体験教室をやらせてもらった後、その場で正式入会しました。 リラックスすることをメインとするヨガ教室のようなので、のんびりまったり出来るのも良いです。 というのも、普段の私は結構、無意識的に気が張っていたり、常に些細な不安や緊張などにさらされたりとなかなか心も身体も休まる時がありません。普段はリラックスのリの字も無い位で、夜に横になって寝入る時でさえ身体の力の抜き方が分からないほどです。 その「身体の力の抜き方」もヨガ教室ではやってくれるんですね。何か一回やったら身体を楽にして解放する、そんな感じです。力の抜き方を改めて第三者から教えてもらえる……これはなかなかにラッキー。 使っていなかった筋肉、そして術後かなりかばうようになった左側の胸〜腕。無理のない範囲でやって行こうと思う次第です(頑張り過ぎてリンパ浮腫になったら元も子もない)。 そして次はボランティア活動の話。 これまでほとんど外へは発信していませんでしたが、実は去年一年間はずっと視覚障害者のためのボランティア活動へ参加するために講習に通っていました。 で、今年の春から正式にボランティア団体へ入会・所属することになり、主にこうした文字情報(いわゆる「墨字」と呼ばれるもの)を音声の情報として自分が読んで録音し、届けるという活動=音訳ボランティアをやっています。 ...

#49 健康診断→疲れやすさ+薄毛+食欲不振

4月のアタマくらいから、何となく気が重くて食欲が減ったような気がする。元々、何かしらストレスに曝されるとすぐお腹に来るタイプなのでこれは4月の上旬に控えていた「会社の健康診断」が嫌だったからなのではないか、という予測はまあ簡単に立つ。去年の嫌な記憶が蘇って勝手に一人で落ち込んでいたという訳だ。 去年の検診では検査会場となる病院で会社の人に会うわ、そんな会社の人と大部屋での着替えでヒヤヒヤするわ、挙句の果てにその病院で風邪をもらって来て後日ぶっ倒れるわで散々だった。 今年は着替えこそ問題は無かったが(曜日をズラしたので着替えはほぼ大部屋貸切状態)、腕からの採血がどうにも上手く行かず難航した。一番細い針で何とか入れてもらったものの、血液が検査に必要な量・勢いで全く出てこないのだという。 結局、温めたり水分を補給したり腕を動かしたり、色々と手を尽くして何とか血管を活発化させた上で手の甲の血管からようやく採血が出来た。 よっぽどポートから採ってもらえればと思ったが、いつも通っている乳腺外科ではないしCVポートを留置している証明書(紙だかカードだかシリコンバンドだか)がないと他の医療機関ではポートはまず使えない、ということで何とか腕からの採血で頑張った、という次第である。 なお、健康診断の結果はその後の乳腺外科への通院日に返って来た。あと1日早ければ持って行ったのに……何とも間が悪い。 「要精密検査」項目は今年は2つ。ひとつは眼の方(視神経乳頭陥凹拡大)で、これは生まれつきの状態であるものを「生まれつきです」と会社へ証明するためにわざわざ金を払って精密検査をしに行かなければならないというもの。まあ緑内障リスクがあるのは事実なので年一回の精密検査は普通にした方が良いのだけれど。 もうひとつは「便潜血」で引っかかった。やべー、今度は大腸がんの精密検査かよ、となる。 そんなんただの切れ痔じゃねえのって普段の事情から自分では思うのだけど出てしまったものは仕方が無い。話を聞くと、どうやら下剤飲んで全部出して全身麻酔して大腸を内視鏡でグリグリされるしかないらしい。やべー(2回目)。 他にはどっかの内蔵だかの何かの「石灰化」が少し気になったり(浸潤性小葉がんは「散らばる」タイプらしいので)、未だに乳がんでの放射線治療の影響(無自覚ではあるが副作用で肺炎になっていた名残)が肺に残っていて驚い...

#48 不正出血と爪の話

2025年に入ってから、1月2月と実は2ヶ月も連続で不正出血に見舞われた。 2024年の8月頃にもちょっとした不正出血を経験しており、ビビった私はレディースクリニックで子宮頸がん・子宮体がんの検査をしていたのだけど……ちょうど半年後のフォロー検査の時期にまたもや不正出血がやって来た、という訳だ。 しかも今回(2025年2月)は今まであった茶色で少量という訳ではなく、 それはもう赤い鮮血がドバドバと大量に出た。 そうなるとまた「大丈夫かよこれ」と不安になる訳で。ちょうど不正出血が終わる頃を見計らってまたレディースクリニックの予約を入れ子宮体がんの検査をして来た次第。 女性ホルモン陽性の乳がんの治療の一環としてタモキシフェンを飲むと今度は子宮体がんのリスクが上がる 、とは主治医や薬剤師さんからも聞いていたので警戒はしている。でもきっと、なる時はやっぱなっちゃうだろうしその時はその時でもう半分諦めモードである。これは乳がんを原発とするもろもろの再発や転移に関しても同様である。 幸いなことに半年前も今回も、子宮頸がんや子宮体がんの細胞診は陰性であった。半年前の検査の時は「少しポリープっぽいものがある」みたいなことを言われたのでそれはそれで気になるのだけども、今後も警戒は緩めないでおきたいと思う。 何せ、そもそもとして乳がんがずっと「ただの嚢胞ですね〜」で若い頃から何年も検査で見逃されて来てしまった、で、発覚したらもう腫瘍は30mmだしリンパ節に転移してるしで早期発見もクソも無いやん!! ……という私自身の経験があるからである。 なので医療関係者の方には申し訳ないが、基本この手の検査の結果は半分信じて半分疑うようにしている。 さて、ここからは変わって爪の話。 手術前の抗がん剤治療を受け始めて手術や放射線治療も間に挟みつつ更に術後にもと実に2年くらい延々と点滴をしていたことになるのだけれど。 それからは以前にも増してどうにも爪が弱くなったな、と感じる。ちょうどコロナ禍の時期だったこともあり、手洗いと手指のアルコール消毒は必須だった。それはまあ今も変わらない。抗がん剤治療をひとまず完走したとは言え未だに免疫力は落ちたままだし、お陰で手指の消毒と保湿は欠かせない。 しかし、である。それにしてもまあ爪の割れること割れること。 元々指先が乾燥しがち→逆剥けを気にして自分で剥いてしまうと...

#47 ワコールの「リマンマルーム」へ行った

 ついに私の住んでいる自治体でも今年からがん患者のアピアランスケアに関する助成金が出るようになった、ということで早速それを利用するべくシリコンパッドをワコールさんの「リマンマルーム」へ試着・購入しに行きました。 個人的には別にシリコンパッド無くてもいいしぶっちゃけ片パイのまんまでも全然いいんすけど……なんならもう片方すら要らないんすけど……みたいな気持ちはありましたが、私を女性と認識している家族は割と私が片方の胸が無くなっていることを心配しているようだったので「それなら(既成事実で)まずは安心させてあげるってのが人情ってもんよな」となった次第で。 ワコール リマンマ https://www.wacoal.jp/remamma/ 端的に言えばシリコンパッド本体が1個3万円くらい、シリコンパッド専用に作られたブラジャー系は1着6,000円くらい、という相場です。助成金でその全てを賄える訳では当然無いのですが、元々個人的には買うつもりの無い物だったとは言え多少でもお金が戻って来てくれるのは助かります。 ワコールのリマンマルームへは現時点では計2回、試着と購入に訪れています。初回は自分に合うシリコンパッドとそれに合うブラジャーを一着だけ買って帰ったんですが、やっぱブラの数が足らんよなとかそもそもレースばりばりのブラのデザインとか好きじゃないねんとか、まあ色々ありまして。 それで2回目の訪問と。 場所にもよるかもしれませんが、私の場合はネットから行きたい日を予約しようとして2回とも大体1ヶ月待ちで予約が取れました。それくらい、色んな乳がん患者さんたちが頼りにしているということなんでしょうね。 私が購入したのは「アモエナ」と呼ばれるシリコンパッドで、専用ケースに入れて保存しとけとか、シワが付きにくいように丁寧に扱えとか、たまに60℃くらいのお湯に付けてふっくら感を復活させろとか、なんか色々管理がシビアなやつでした。 まあ義手や義足、義眼なんかも世の中にはありますけど……それらも日々のケアや管理って大変ですよね。じゃあ「義パイ」も似たようなもんか、と最近は思うようになりました。 ちなみにシリコンパッド用のブラの選択肢は少ないです。 リマンマルームで在庫のブラをあれこれ試着したんですけど、身体に合う・シリコンパッドに合う・デザインが気に入るかどうか・実際に服を着た際に響かな...

#46 夏を振り返って

 今年の夏は何だか忙しいのか暇なのかよくわからない季節でした。そんな中でも、3ヶ月に一回の通院でPET-CT検査をしたり、なんかいきなり不正出血するし、それで婦人科に行ったら今度は子宮体がんと子宮頚がんの検査だったり、全摘した左胸を偽装(義装、という言葉の方が合うかもしれない。攻殻機動隊の義体的な意味で)するためにシリコンパッドの試着相談へ行ったり、まあ改めて振り返ってみると結構色々ありました。 順を追って、何となく乳がんに関係するようなしないような、そんな私の夏の様子をまとめてみようと思います。 2024年7月 引っ越しをした よりコスパの良い生活を求めて、ようやく身分相応というべきか質素でちょうど良い住まいに引っ越すことが出来ました。賃貸なので契約やら引っ越し手続きやら荷物の整理やらと色々大変でしたが、今にして思うと「とりあえず無事に終わって良かったなあ」と感じます。 お陰でお世話になっている乳腺外科へもだいぶ通いやすくなりました。沿線がだいぶ近くなったのでね。街中では無いものの、周辺施設がある程度充実しているのでその辺も助かります。 便秘が頑固になり始める この辺りから今日に至るまで、どうもいつも飲んでいる便秘薬「マグミット」が効かなくなってきてしまった。毎食後に1錠飲むという処方なのですが、それでも追いつかず普通に便秘です。 薬に対する耐性が出来てしまったのか、タモキシフェンの影響もあって更年期的な便秘の力が優っているのか。次回(10月)の通院時=薬の処方時には主治医に相談して少し違うアプローチを試そうと思いました。 なんか腕にシミ増えたよな 両腕には毎日日焼け止めを塗って防御していたつもりだったのですが、どうもシミが増えているようだぞ、と。これは単なる加齢によるものなのか、普通に日焼けから出来たシミなのか、腕の黒いポツポツしたものが気になります。 PET-CT検査をした 結果は特に異常無しとのことで安心したが、この検査の一週間後くらいに不正出血が起こり、今度はそれでドタバタすることになる。 ワコールの「リマンマルーム」へ行った 乳がん手術後用のシリコンパッドを買うために近場のワコールさんの「リマンマルーム」へ行った。沢山のパッドとブラジャーを試着したのですが、選択肢はそれほど多くないので試着+購入ならお金は沢山用意しておいた方が良いと思った。 そし...

#45 術側、悲喜こもごも

術側である、乳がんの手術をした左胸〜腋窩リンパ〜左腕に関するアレコレ。 最近またなんか筋肉突っぱんてんなーとか、虫に刺され過ぎじゃね? とか、放射線治療をしたのはちょうど1年くらい前だけどその時と同じ「放射線焼け」がまた照射した箇所に出て来たとか、まあ色々です。 意外と術側に腕時計は装着できる 私は7割右利きかつ残りの3割は左利きみたいな変な両利きなんですが、筆記用具を持つのは右手なので必然的に腕時計は邪魔にならないであろう左手に装着することになります。 乳がんが発覚した直後の頃は、「手術をしたら腕時計はつけられない」とか「リュックや肩掛けのバッグは使えない」とか色々(主治医からではない、あくまでネットの噂話程度の)情報を得ていたのですが腕時計に関して言えば、「軽いものであれば、ある程度装着が出来る」というのが私個人としての結論でした。 腕時計のオススメは、まずはスマートウォッチです。普通の金属製のファッションウォッチと比べ、ケースの素材にプラスチック、ベルトはシリコン等を採用していることがほとんどで軽いですし、最近は3000円以下の中華スマートウォッチでも表示は綺麗ですし機能もだいぶ豊富になりました(今使っているやつは日本語フォントが変な中国系の明朝体じゃないだけでもありがたい)。 そしてほぼどんな機種でも歩数計機能が搭載されているだろう、という点も良いです。腕時計を見るだけで今日何歩歩いたのかが分かるのが、肥満が大敵となる乳がん患者には合っていると思います。体重計なんかもそうですけど、数字(データ)として目から情報を入れるだけでも結構体重コントロールや運動のモチベーションに繋がるんですよね。 次にオススメなのが、軽めのファッションウォッチ・ブレスウォッチ系です。ケースが薄くて、小さくて、ベルトもゴツくないやつが良いですね。私は今まで結構メンズのゴツい自動巻きを好んで腕時計として使って来たんですが、これがまた今にして思うと結構重かったんです。 なので一旦はレディースのクォーツ(電池交換式)で我慢して、とにかく薄くて軽いやつ……をスマートウォッチの代打として使っています。勿論、文字盤にはこだわって視認性が高く、かつドレッシーで素敵なものを選びました。ブラックシェル文字盤はロマン。 ちょうど働きに出ている職場では服装規定が地味に細かく、ピアスをはじめとするアクセサリー...

#44 誕生日×ブッダ×ボブ・ディラン

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誕生日でした。私は自分の乳がんを誕生日の夜に自分で触って見つけてすごく嫌な予感がして、で、その日の内に必死になって診てくれる病院をスマホで探したという経緯があるのですが……そんなドタバタから2年が経過しました。2年生き延びたなあ、という感じです。 ちなみに私の誕生日は大体カレンダー上では入梅とされる日で、さらに近年はAppleの年一回だったかのカンファレンスも行われる日になっているので誕生日自体は嫌いではないです。自分の誕生日に好きな&お世話になっているメーカーの新製品発表があるとか最高じゃないですか。 逆に日本のカレンダーで唯一祝日のない月、などと揶揄される6月ですが6月は私(と私の母)の誕生日があるのでそれを国民の祝日にしていただきたい位です。 で、そんな誕生日の朝にコーヒーを飲みながらこれを書いている訳ですが向こう一年のスローガンとしてふと 「愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。林の中にいる象のように。」 という言葉が浮かびました。 アニメ映画「イノセンス」でも出て来た印象的なセリフ・引用で、出典はブッダです。 日本では岩波文庫の「ブッダの真理のことば 感興のことば」という本に載っています。 「イノセンス」では後半部分を少し変えて「孤独に歩め。悪をなさず、求める所は少なく、林の中の象の様に。」とセリフとして言い易く(また翻訳者の著作権に抵触しない形で)引用されていましたが、大事なのはむしろ前半部分だと感じました。 「愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがよい。」 これです。 私は乳がんに罹患してまだ2年ということもあり「キャンサーギフト」なる言葉に実感が持てず、また好きでもありません。むしろ今はまだ「キャンサーロスト( 一般社団法人がんチャレンジャーによるキャンサーギフトの対義語として生まれた造語 らしい)」の方に目が入っていて、自分が失ったもの、失ったことへ対する執着が強いと思うんですね。 乳がんになってほぼほぼ自発的にコンタクトを取るような行為を止め治療に専念し人間関係を断ったり、それでも必要な時は大人な対応で声を掛けて来てくれたフリーランス時代の仕事関係の人とか、ぶっちゃけ人(それも二人も)から勝手にかつ一方的に自宅へ送り付けられて来た「病気平癒」の御守りよりも自分で買った「厄除け」...

#43 初期の検査結果にゾッとしたり健康診断で詰んだりした話

先日、ふと自分の乳がんの初期の検査報告書(2022年6月末時点)を久し振りに見る機会がありました。確かエコーとマンモと針生検で乳がんの診断が確定して、そんで治療方針を探る&全身に転移がないか調べるためという名目で全身のPET-CT検査を受けたんですよね。 当時はそれこそがんに罹患したこともショックだったし、これから先の生活はどうなってしまうんだろうとか、色々心理的に物事をしっかり考えたり判断を下したりということが難しい精神状態でもあったのでその検査報告書を当時見てもあまりピンと来てなかったんですね。乳がんの知識もほぼほぼゼロですし。 で、それをまあ今更(手術前の半年間の抗がん剤治療、手術が終わって補助的な放射線治療を25回、その後再び化学療法を1年以上やって、ようやくタモキシフェン10年のターンに入った2024年)見た訳ですね。するとある程度病気に対する知識も付いて来てますから結果を見て「うわー……」とゾッとしてしまった、という話です。 検査報告書には「左乳癌:左腋窩・左内胸リンパ節転移、r/o 左鎖骨上リンパ節転移」の文字がありました。「r/o」というのはRule outの略らしく、「可能性は低いが危険は危険だし要注意」みたいな意味らしいです。 当時検査を担当してくれた医師も現在の主治医も私の乳がんに関しては基本的にステージの話をしないタイプの人で(腫瘍マーカーの話すらほぼしない)、まあ自分で勝手に検査結果から当てはめて推測するしかないんですけどこの状態だとどう見積もってもステージ3のB〜Cをうろつく形、つまりは「局所進行乳がん」になるんですよね。 参考資料|患者さんのための乳がん診療ガイドライン2023年版 Q15   乳がんのステージとステージごとの治療の流れについて教えてください https://jbcs.xsrv.jp/guideline/p2023/gindex/30-2/q15/ あーあ、という気持ちです。個人的には。当時検査を担当してくれていた専門医の先生が「今すぐ命がどうこうという話ではないが治療自体は今すぐ始めないと命に関わる」みたいな何か矛盾したことを言っていたような記憶もあるので「あーそういうことだったのかー」と今更感じた次第です。 で、それが手術直前に術前化学療法を半年やった上で主治医に「結局私のステージ今どの程度なんです...

#42 グンゼの前開きブラを試す+α

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 2022年に乳がんが発覚し術前化学療法=点滴の安全性と確実性のためすぐにCVポートの挿入手術をしたというのもありますが、割と早い段階から私は「前開きブラ」を活用していました。 最初に買ったのはユニクロの「コットン前あきブラ」でした。 ユニクロ公式 | コットン前あきブラ https://www.uniqlo.com/jp/ja/products/E431561-000/00?colorDisplayCode=69&sizeDisplayCode=004 スナップボタンが下の端っこに1個だけ付いていて、あとはマジックテープ式。ゆるめのシルエットで着心地は良く、乳がんの手術後もそれは同様で、内面にパッドを入れるのもとても楽な構造でした。 しかしずっと使っているとやはりモノは徐々に洗濯等でヘタッて来る訳で。同様にパッドを入れられるニッセンの薄手の前開きインナーと代わる代わるで併用して来ましたが、最近は(乳がん患者であることを隠して)パートで働き始めたのもあり、人目を気にして胸を偽装しないといけないシーンが増えたために「もう少し前開きブラ要るな」と思ったのでした。 乳がんが発覚するまでは、性別違和感を解消するため必死に胸をナベシャツで平らに平らにと潰していた私が、今では必要に迫られて「何の問題もない女性を演じる・演出するため」に全摘した左胸を盛らねばならぬ……という事態はだいぶ滑稽です。「ギャグか?」ってなりますね。 なので割と本気で執刀医(≠主治医)には「ついでに右胸も綺麗に切っておいてくれ」と事前に言っておきたかったくらいです。棚ぼたラッキー的に、この不要な胸とはおさらばしたかった。 しかし物事というのもはそう簡単に、楽「だけ」をして望み通りの結果が得られる訳ではないというのも重々承知している訳でして。 まあ逆に言えばそんなに胸を切り捨てたかったらまずお前が行くべきなのは乳腺外科じゃなくてジェンダークリニックやろ、 ということです。桶屋は桶屋。 前置きが大変長くなってしまいました。で、前開きブラのストックを増やそうと思ってまたユニクロのオンラインストアを見てみたんですね。したらば、在庫が無いと来た。 出来れば同じのを揃えたかったな〜などと思いつつ、今度はAmazonを見てみる。すると、グンゼの前開きブラが割と安いなということに気づいた。しかも2着同時に...

#41 カドサイラ完走、そしてCVポートの行方

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 先日、3週に一度のスパンで14回続けることになっていた「カドサイラ療法」を無事に完走しました。単純計算で294日なのでほぼほぼ10ヶ月ですね。 手作りの「ケモケモスタンプカード」をフルコンプした。おめでとう自分。 2023年1月末に左胸全摘+リンパ節郭清→病理検査結果と遺伝子パネル検査の結果が出る→放射線治療のゴーサインが出たので開始(毎日・全25回照射)→カドサイラだったのでこれで丸一年潰れたような感じです。 カドサイラ療法中の困った副作用はそれなりにありました。 吐き気やだるさ、関節の痛みなどは手術前にやっていたドセタキセルより随分と弱く楽な方でしたがそれでも点滴後2、3日は吐き気があったりしたので吐き気止めは飲んでましたし、皮膚の乾燥がやべぇとか足のすねに出て来た「紫斑」にびっくりしたりと。 中でも一番困ったのは、目の不調でした。 これがカドサイラの直接的な副作用なのか、加齢や疲労など諸々の要因が複合的に重なって最終的な出口として視力に影響したのか分かりませんが、ある日ふと急激な勢いで視力が低下し乱視が悪化しました。 どれくらい悪化したのかと言うと、私は普段何もなければ視力が1.5以上はある(子供時代は2.0以上)典型的な遠視の人間でした。しかし目の不調がさすがにヤバいぞと感じたのは、それこそカドサイラ療法の副作用メモを取ろうとしたりして机に座り、普通にノートをまとめようとしたところ、字が書けなくなった瞬間でした。 手元のノートに字が書けないくらい、視力がおかしくなって良く見えなくなっていた んです。あまりに見えないので急いで眼科へ駆け込んだのですが、その時の視力検査では左が0.4で右が0.6でした。個人的には「有り得ない」数字でした。 そりゃ普段の視力から一気に1.0も下がったら見えなくもなるわ、という訳です。普通に歩くのも危ないレベル。特に夜道は未だに危険なので、防犯や防災の意味も込めて足元を小型の懐中電灯で照らして歩いています。 眼科へ行っても直接的な原因は分からず、でも視力低下と乱視の悪化は何とかしたいしとメガネ屋へ行くもレンズ合わせのために視力検査してくれた店員に「ただの疲れ目じゃないっすかね? メガネ作るよりも目薬した方がいいっすよ」などとメガネを作ること自体を断られたりとマジで訳が分からん状態だったので、とりあえず今は「ピント調整を改善...

#40 乳房全摘手術から一年が経っていた

なんとまあ早いもので。いつの間にかというかあっという間にと言うべきか。左胸の乳房全摘+リンパ節郭清手術から一年の月日が経っていました。なので、一年経ってみて感じていることなどを記録に残しておこうと思います。 左腕の不自由と違和感は未だ消えず 「リンパ節郭清のためにその周辺にある神経も傷つける可能性があるので、術側の腕の違和感は数ヶ月くらいは残るかもしんないよ」みたいな説明を手術当時、病院側から受けたような記憶があるんですけども。手術から一年経ってもその辺は全然良くなってないです。 元々、雨が降ったり低気圧が近付いて来ただけで頭痛がし始めたり全身どこかしらの関節が痛んだりというのが子供の頃からあるような奴なので、よほど神経が過敏なのだと思います。リハビリで腕自体はちゃんと上がるようになったけれど、皮膚感覚の異常とか、未だにたまに脇の下がピリッと痛いわとか、術側の腕が重だるいなあとか、あります。 リハビリ自体は「1日3回朝昼晩でやってね」と理学療法士さんに渡されたプリントを自室の壁に貼って、それを見ながら無理をせず(言い方を変えれば、めんどくさくてサボりつつ)1日1回、多くても2回、風呂上がりとかにやっていました。 それでもまあ、かなり腕・肩の上がり具合は元に戻ったと思います。手術直後はしばらく通所リハビリ(自分ではどうにも出来ないくらい手術した所が痛かったり動かせなかったりしたので、理学療法士さんに筋肉をほぐしてもらったり、肩を上げるためのリハビリをしてもらうやつ)のお世話になっていたような私でも、何とかなるもんなんだなぁと思いました。 徐々に「自分らしい生活」を取り戻す これはあまり病気とは関係ないかもしれませんが、少しずつ自分の望むような生活が戻って来た、もしくはそんな生活を新たに手に入れることが出来始めている、といった感覚が芽生えて来ています。 乳がんが発覚した後、割と早い段階で私は失意の中「バケットリスト」を書き始めたんですがその最初の一つ目が「死ぬその時に後悔しない生を送る」、二つ目が「それなりに自分の社会的責任を果たす」だったんですね。 きっとバケットリストに最初に書いた目標を達成した暁には、私の人生にあの「ゲームをしていると地味に嬉しい実績解除の音」がピコン♪と鳴ることでしょう。 バケットリスト自体は、実はまだ25ほども書けていません。自分がしたいことを...

#39 年末年始の動き

しばらく乳がんの治療やそれに関わる生活のことなどをブログに書くのをサボっていたと言うか、控えていました。とりあえずカドサイラ療法は変わらず続いているし、それ自体は粛々と回数を重ねるだけで完走へ向けて進んでいるというだけです。 この記事を書いている2024年1月中旬時点ではカドサイラも12回の投与が終わり、あと2回で予定していた全14回を完了します。なので今回はその前後にあったことなどを記録としてまとめておこうと思います。 手術の傷口がようやく綺麗になった いやあ、長かったです。2023年の1月末に左胸全摘+腋窩リンパ節郭清の手術を行なった訳ですが、この傷口の経過と言いますか。その直後から始まった放射線治療のせいでどうにも審美的な意味で納得のいかない期間が続いておりまして。 結果として、放射線治療が完了した後、半年後くらいのタイミングでようやく放射線に焼けて黒ずんでいた皮膚が綺麗になりました。やっと、何となく風呂上がりに自分の体を鏡で見てみて「まさに傷は漢の勲章だよなあ」などと思えるようになって来ました。 クローゼットで働き始めた 去年の暮れ頃から、短時間のパートでの仕事を開始しました。ええ、前回あれほどハロワと長期療養者就職支援事業について文句や恨みつらみを吐いていた私でしたが……まあ、受かったんです。運が良かったとしか言いようがありません。 がん患者専門の支援員さん(この方自身もがんを経験されているのだそう)の指導の下、二人で「これなら今の体力的・能力的に仕事をこなせる種類の求人なのではないか」と相談したり、出来そうな求人を紹介してもらったり。確か夏頃から求職活動を本格的に再開したので、こうした手探りの期間は2〜3ヶ月は続きました。 支援員さんのアドバイス通り、求人へ応募する際は自分が乳がん患者であることは一切伏せました。ぶっちゃけ、そうしないと書類選考すらまず通過出来ないからです。残酷なようですが、それが現実です。私個人としては、まあ性自認や性指向に加えて「クローゼットにしておくべきことがもう一個増えた」という訳ですね。2個も3個も大して変わらんか、と言った具合です。 最近は既往歴の情報なんかも個人情報・プライバシーの侵害に相当する場合がありますし、大抵の人は(その当事者でもなければ)病気に対して誤った先入観を持っているというのが常でしょうから、よほど「がん患者...

#38 長期療養者就職支援事業を使う

私は一旦仕事を止めて次の仕事を探している間に乳がんが発覚したので、治療を優先するために求職活動を一時停止していた。本当は在宅だろうが単発の仕事だろうが収入を得るために、治療費を少しでも賄うために、とにかく早く働きたくてしょうがなかったが周囲からはまだその段階ではない、焦るな、今は治療に専念しろと諭され今に至る。 それで一年間治療に専念した訳だが、手術が終わり傷の経過もまあまあ良好、手術後の抗がん剤治療も少しは副作用がマシで動けなくはない。なら動くべきだ、ということで ハローワークの「がん患者の就職支援を行う窓口」こと「専門援助部門」「長期療養者職業相談窓口」 に連絡を入れたのだった。(※部門や窓口の名称は自治体によって違うかもしれない) 実は私、この「専門援助部門」には以前も来たことがある。実際来るまで忘れていたが、長引くうつ病治療を理由に障害者手帳を取得していた時期にもお世話になった窓口なのだ。で、担当の支援員さんは開口一番に言う訳だ。「障害者手帳はまだ持ってる?」と。 早い話が、がん患者として再就職先を探すより障害者として障害者枠に滑り込んだ方が「手っ取り早くて確実である」ということである。(言い方は良くないが。)ちなみに私はとっくの昔に障害者手帳は役所に返納しており、現在は持っていない。 実際、窓口ではがん患者の再就職に関する支援を専門の支援員さんがマンツーマンでアレコレ行ってはくれるが、 ぶっちゃけた話、企業側の求人に「がん患者枠」というものは存在しないしがん患者への配慮があるとか病気を受け入れた上で雇う下地や前提が出来ている企業が専門的に登録されているとか、そういうことはほぼ「無い」。 つまりがん患者の就労に対して何の準備も前提も共有されていない企業にがん患者として、もしくはがん患者であることを言わないで(働けるくらい元気ならそもそも個人情報である病気のことは詳細を言う必要はない、というスタンス)、明らかに不利な状態で就職活動しろということである。これはメンタルヘルス系の疾患や発達障害、さらにその他「微妙なラインの持病」を抱えている人も似たようなものかと思う。 あまりがん患者であること、病人であること自体にアイデンティティを置くなとも取れるし、逆に解釈すれば例えがん患者であったとしても「比較的、心身共に元気な人しか採りませんよ」的な思想が透けて見えたりもす...

#37 カドサイラ 5/14回目

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 前々回、「カドサイラはあまり書くことがない」と書いた。しかし5回目ともなると少し状況も変わってくる。多分副作用だろう、と思われる症状が蓄積・累積で出て来たのか気になるようになって来た。 その一つに、便秘がある。 私は元々、過敏性腸症候群の「ハイブリッド型(勝手にそう呼んでいる)」で便秘と下痢を交互に繰り返すタイプだった。それが、ここのところはすっかり便秘ばかりなのである。 病院から処方されている便秘薬(マグミット)を飲むとそれなりに効いてお通じは良くなるが、「ああ、良くなったな」と油断して飲むのを止めるとまたすぐ頑固な便秘になる。 これはマズイなあ、と思ってしばらく運用を止めていた「お通じカレンダー」を再び開始することにした。スマホのカレンダー機能に専用の「お通じカレンダー」を作り、お通じがあったら「予定」としてイーロン・マスクよろしく「💩」とだけ入力するアレである。 カレンダーなら入力した時点での時刻も自動入力してくれるのでとても良い(iPhone、Mac OS標準搭載のカレンダー機能の場合)。 そしてどうでもいい情報かもしれないが、私がお世話になっている乳腺外科の化学療法室は賑やかな現場だ。割と混む病院、そして混むケモ室なのだが、そこで働く看護師さんたちがとてもエネルギッシュというか、明るいというか、雰囲気が良い。 化学療法となるとそこに通う患者さんも数ヶ月〜年単位で定期的に顔を合わせる訳だから、良好な関係を構築するに越したことはない。こういった雰囲気が合わないと感じる人も居るだろうが、とりあえず私との相性は良さそうだった。 何故なら、その雰囲気の明るさ等が「高度に訓練されている」というのがなんとなく理解出来たからだ。 今回なんて、訪れた患者さんへ化学療法室での治療の開始を10分程度待ってもらう必要がある時に「ちょっと今、満員御礼なんで待っててくださいね〜!」とか言っていた。 「高架下の居酒屋か!」と思わず心の中で突っ込んでしまった。楽しそうな現場で何よりです、となる。(そういえば居酒屋なんてもう2年近く行ってない気がする。そもそも酒を飲まなくなったし外食は控えたいしで) そしてカドサイラの点滴を受けている時、少し気になることもあった。 点滴がそろそろ終わる頃に毎回血圧を測ってもらって居るのだが、その血圧が妙に高い のだ。 点滴治療前&採血後にも血圧...

#36 「乳がんノート」1冊目が書き終わりました。

「乳がんノート」1冊目が書き終わりました。 治療を始めてから、今日でちょうど一年くらいの月日が経ちました。 まずは一年。これから先、何年続くのかは分かりません。 しかし記録をつける、ということは大切だと感じました。 何をして、いつ、どうなった。データが残るということです。 「私自身」がしっかり残る、という必要性は特に考えていません。 今回は「たまたま」乳がんだったというだけで、この先いつになるかは予測もつきませんが寿命が来れば人は今生を退場しなくてはなりません。実に様々な要因で、人は窮地に陥ったり、死んだりする訳ですから。 「この先の人生を良いものにしよう」だとか、「第二の人生を」だとか、そういうことも考えていません。たかだか40年程度の「人生」ですが、経験上、この「人生」という言葉を中心に置いて物事を考えたり、何かを言ったりしていると、大抵それは破綻するんです。 タイミングの問題だと思います。 今は単に、大げさなマクロの視点よりも「ミクロの積み重ね」が適切なのだと感じます。 そうした上で、私は「次」に進もうと思います。 終わるのでもなく、始まるのでもなく、続くのでもなく、「次」、です。 2023.7.25 まこと これは、私が今日書き終わった「乳がんノート」の最後の1ページに書いた文章である。手書きでじっくり書く時間は、時間こそ食うものの落ち着く時間でもある。 最近巷ではジャーナリングが流行っているが、私はどちらかと言えばユビキタスキャプチャ派である。文房具沼の住人の間で、モレスキンの手帳が流行った時期があった。そう、あの頃の話だ。震災の1、2年くらい前だったと思う。 ちなみに私が「乳がんノート」として日々の病状などを記録しているノートはミドリの「MDノートライト」である。あの軽くて3冊セットのやつね。 MDノートライト|ミドリオンラインストア www.midori-store.net 最近の気付きとしては、「エントロピー増大の法則」がある。 物理学者のシュレディンガーが提唱した、「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい、自発的に元に戻ることはない」というものだ。 そしてシュレディンガーは同時に、 「生命はエントロピー増大の法則に立ち向かう戦い」 であると定義したそうな。 エントロピーとその増大に関する言葉は何となく知ってはいたが、シュレディンガー自身...